この日は休日。
くたばっているはずなのに朝から京都に行く予定がすでにあった。ばか息子のところに荷物を運んでやる約束だったのだ。
ぐずりんな私たちはやっとこさ11時過ぎに家を出、京都に着いたのが1時頃。まずはひるめしっと・・・。
「なんか食べたいものはないんかい。」
「ない。外でほとんど食べへんから・・・。」
なんと我がばか息子は自炊野郎と化していたのだった。同居中は私が料理をしていても何の関心も示さなかったくせに、だ。
しばらくはあれを買ってあれを作ったとか、そんな話を。
これはありがたいことだな。自分で料理を作ることで、おやぢの偉大さを思い知るがいい。
途中、「スーパー寄って」と言うので、停車。私は車中待機。甜麺醤やタバスコなどの調味料を買ったらしい。これはマジやな。
「そういえば何日か前、豚汁って何入れるん?て電話してきてたよ」と、家人。はっはっは〜、豚汁もよう作らんのか。
教えてやろうか。出汁の取り方とか、具材の切り方とか、煮込み具合とか、味噌の扱いとか・・・。
いや、でもそれは自分で考え、自分で試行錯誤しなさい。料理ができるようになるかどうかは、それをするパッションを持ち続けることができるかどうかにかかっている。
料理はたくさんの知見の集積だ。直ちにその知見の中心に近づけると思うな。自分の力で少しずつ近づけ。回り道の数だけ近づけるのだと思え。料理とは無限のスパイラルなのだ。何のこっちゃ。
いつかこいつもスリランカカレーを作るようになるのだろうか・・・。
そんなことよりひるめしが問題だ。北山通りを走れば何かあるやろというので、北山通りを西へ。
突如見つけてしまった。「キャピタル東洋亭本店」。かつて私が学生で京都に住んでいた頃、憧れた店なのだ・・・。
金ができたら、この店のディナーに女の子を誘いたいと思いながらも、金に無縁な過激派学生には所詮叶わぬ夢。当時、この店には貧乏学生を寄せ付けない気高いオーラがあったように思う。

少々の散財は覚悟の上で思い切って入店してみることにした。いい年をこいても貧乏性は変わらない私だ。

入ってランチメニューを見て驚いた。カジュアルなファミレスとほとんど変わらない値段だったのだ。こんな路線やったか?? 昔はもっとヘビーデューティーな感じだったような気が・・・。当時の私が貧乏過ぎて卑屈になって、勝手に気圧されていただけなのかもしれないが・・・。
平日の1時過ぎだというのに、結構お客さんが多くて、20分ほど待ってようやく席へ。
創業明治30年(!!)というだけあって、店内は混んでいるのにしっとりと落ち着いた雰囲気。サービスも実に丁寧で行き届いた感じだった。それに何といっても老舗だけあって、客の年齢層が高い、高い。我々若輩者(どこがや!)は肩身の狭い思いがするほどであった。

まずはサラダ。

この「トマトサラダ」が名物らしい。

実にトマウマ―(゚д゚;)―ッ!!なひと皿であった。
そして「かぼちゃのポタージュ」と、アルミホイルに包まれたもの。

私と家人はこの「東洋亭風アルミ包みハンバーグステーキ」。

じゅーじゅーのうまうま。
ばか息子は「サーモントラウトのムニエル」。反対から写真を撮っているので小さく見えているが、実はなかなかでかい切り身だった。

若者なのに肉を食わない変なやつ。まあ、このあと走るから軽めにということのようだったが。
「挽き肉のピザ」はみんなでシェア。

どれも歴史と伝統を感じる安定したうまさだった。これであの値段なら、流行るわな。憧れの店でランチを食べられて感激。
実は20数年前、私はこの近くに住んでいたのだ。ちょっと散策してみようと、北へ。昔はこのあたりはすぐき菜の畑が広がる田舎なところだったが、畑はめっきり減って建物が増えていた。
「浪漫亭」という串焼き屋を発見。おおーー!まだあるんや・・・。できたばかりの頃、「高そうやなあ・・・」とびびりながら、女の子と行ったことがある。やっぱり高くてそんなに呑み食いできなかったように記憶している。
さらに北へ。そして発見。
うおおーー!!まだあったーー!!昔のままやん・・・。

ここは20ん年前、私が学生の頃に住んでいたアパートなのだ。屋根が葺き替えられて、外壁が塗装されている以外は何も変わっていない。凄いなあ・・・京都は。
ちなみに私は画像奥から三つめの扉の部屋に住んでいたのだ。裏には畑があって・・・

そのままやん・・・。ここは大家さんちの畑で、たまねぎやキャベツ、白菜、なす、すぐき菜なんかが植えられていた。私は夜中にこの畑から野菜を頂戴してカレーを作って食べていたのだ。よくイタチと目があったなあ。もう時効やんね。
20ん年の年を経ても、変わらずに残り続けてくれているのは本当にうれしいことだ。
うまさと懐かしさ満載の、充実の京都行だった。
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